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プラモ製作動画:タミヤ1/48 A6M5c ゼロ戦52型丙

製作過程が字幕付きでしっかりと説明されているのでわかりやすいです。ワセリンやマスキングテープの使い方など参考になるてんが多いですね。



零式艦上戦闘機の概略(ウィキペディアより)
五二型は二二型の発展型で、折り畳み機構を廃して翼幅を三二型と同じ11mに短縮したものの、二一型や二二型のように円形に整形された翼端を持つ主翼と、エンジン排気による空気の整流・推力増強を狙い排気管を分割して機首部の外形に沿って配置する推力式単排気管が外見上の特徴である。

なお五二型は三二型と同一エンジン装備で正規全備重量で200kg近く増加しているにも関わらず、最高速度は約20km/h、上昇力も向上しており、推力式単排気管の効果を垣間見ることができる。ただし極初期生産型には推力式単排気管が間に合わず、二二型同様の集合排気管を装備している。単排気管装備後に排気管からの高熱の排気がタイヤや機体外板を痛めることが判明したため、最下部の排気管を切り詰め、残りの排気管口付近に耐熱板を貼り付けるといった対策が施されている。なお、後期生産型では無線機が新型の三式空一号に換装された他、翼内燃料タンクに自動消火装置を装備して防御力を高めている。

三菱では1943年8月から生産が行われ、中島でも1943年12月から転換生産が行われている。武装強化型の甲・乙・丙型を含めて終戦までに零戦各型でも最多となる約6,000機が生産され、レイテ沖海戦以降、特攻機としても使用された。

五二丙型は甲・乙の路線を踏襲し、更に武装と防弾装備を強化した型で、武装面では両主翼に三式13.2mm機銃を1挺ずつ追加して計3挺に増やしており(機首左舷の九七式7.7mm機銃は撤去)、防弾装備面では座席後部に操縦員頭部保護用の55mm防弾ガラスを追加している。堀越二郎技師の設計陣に余裕がなかったため、零式水上観測機を開発した佐野栄太郎技師の設計陣が改設計に当たっている。

三菱、中島とも1944年10月から生産を開始しているが、三菱から提供された設計図にミスがあったため、中島の五二丙型初期生産機は落下式増槽を装備できなかった(後に改善)。